- 古代 5世紀頃
- 遅くとも5世紀頃から、豪族や権力者の石棺・石室として利用されています。道具の無い時代、古代の人々にとっても加工し易い石だったことが伺われます。また来待石の自然石は、石宮神社の御神体など信仰の対象にもなりました。
- 中世 15世紀
- 宝篋印塔や石碑だけでなく、石段・敷石・石垣など建築材料としても盛んに利用され始めました。特に、空隙が多く吸水率の高い来待石は、表面に雨水がたまらず、クッション性があるため、表面に加工することにより滑りにくく足に優しい石段・敷石となります。松江城の石段や水路は来待石製です。石垣中の水路は現在でも築城当時のものが残っています。
- 近世 江戸時代
- 北前船によって九州から北海道まで、灯ろうや狛犬などの彫刻品や建材が多く運ばれました。また来待石粉を使った来待釉薬は、石見の産業である石州瓦や石見焼の釉薬としても利用されています。松江藩にとって収益となる石材であるため、他藩への持ち出しが許可制となり、「御止石」と呼ばれるようになりました。来待石は石英成分が少なく耐火性があるため、竈や掘り炬燵にも利用されていました。
- 近代 明治以降
- 宍道湖の夕日スポットである嫁ヶ島やその周辺には、来待石で作られた「如泥石」があります。現在のテトラポットの役割を果たしていますが、来待石中のゼオライトによる浄化作用があり、苔や水草などが生えやすく、水辺の生物にとって住みやすい環境を提供し、景観にも配慮した、建造物となっています。
また、来待石を加工した「出雲石灯ろう」は、昭和51年に石製品では初めて「経済産業大臣(当時、通商産業大臣)指定伝統的工芸品」に認定されました。
温かみのある柔らかな肌合い、色彩がよく、早くに苔青く趣のある色合いへと変化するため、庭や室内装飾などに欠かせない「石の美術品」として好評を得ています。

Kimachi stone 来待石とは
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来待で採掘され、建築や加工石として使われる石
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